修士論文を提出しました

研究の話

本日、修士論文を提出しました。

これで、余程のことがなければ、
修士(工学)という肩書きをGETできるはずです。

学位を持っていないので、取れれば高卒からのステップアップです。

修論が書き終わったら学生生活を振り返った謝辞的なものを記事にしようと思っていたのですが、それは卒業が決定してからにしよう思います。

今回は修士論文、修士での研究活動について書いていきます。

大学院に入った理由

わたしが大学院に入ったの理由は「研究してみたかった」というのと「理系は大学院までいくものだと思っていた」というのが大きいです。

お父さんが昔から何かそんなこと言っていたので、理系は大学院までいかないとちゃんと研究ができないから、研究やってみたかったら大学院までいくしかないんだなあと思っていました。

飛び級したのは金がなかったからです。

そんな感じで、研究してみたくて大学院に進むっていう至極真っ当な理由で院進したわたしですが、

研究が何かということはイマイチ分かっていないままでした。

先生の研究内容や成果を紹介するような授業があったりして、その内容自体は好きでワクワクはしていました。

が、その「研究をする」ということが具体的にどういうことかは分からないままでした。

昔やった自由研究と何が違うのか。
研究者は普段どういうことをして研究生活をしているのか。
論文とか学会のことについて。
研究者は何をしたらスゴイのか。

そういう話は分かっていないままでした。

大学院生活について

学部4年の卒業研究をしていないのでマジのペーペーのまま大学院生活が始まりました。

わたしの研究室の教授は、本当に学生のことを考えてくれていて、全部一から十まで教えるわけではなく、考えさせることをさせてくれる先生でした。

ともすれば放任と言われてしまうのかもしれませんが、自ら質問しにいけば考え方から何まで教えてくれるし、常に見守ってくれる、優しい先生です。

わたしは研究のことを何も分かっていないまま、とりあえずそれっぽいことをやりまくります。

研究1年目のわたしなんか研究の世界ではまだ幼稚園児です。

わたしは幼稚園児の割には出来たので、先生も褒めてくれます。あーよちよち平仮名読めてえらいねーって感じです。

授業や就活も挟みつつ、なんか良く分からないまま1年間頑張りました。

というか常に何かの締切りに追われていて、目先のことしか考えられていませんでした。

研究界の幼稚園児

わたしが研究ツライと思ったのはこの半年です。

修士になって1年と半年経って、ようやく研究について分かってきました。

研究は、問題設定→仮説立案→仮説検証→発信 という大まかな流れで進んでいきます。

問題設定があやふやな研究は、その研究をやる意義から揺らいでしまうので、どう書いても結果にインパクトが出ません。

仮説立案が甘い研究は、結果が出ても考察しようがありません。

仮説検証が雑な研究は、どこが良くてどこが悪かったのかも分からないので、使い道がありません。

発信が下手な研究は、伝わらないので意味がありません。

この4つのサイクルを上手いことまわしながら成果を出していきます。

わたしはまだ研究界では幼稚園児です。

落ちてる絵本を読んだり、大人が話してるのをなんとなく聞いて、それっぽいことを学んでいきます。

わたしは幼稚園児なんですが、研究界に幼稚園児も大人もありません。

学会では幼稚園児も大人も平等に審査されます。

幼稚園児なので、少ない知識しかありませんが、この少ない知識を元に、あやふやな問題を考えて、甘い仮説を立てて、雑な仮説検証をします。

発信の準備をする段になって、「この研究は何かが変だ」と気づきます。

成長ですね。小学生になりました。

まあ実際は何かどころじゃなくて、何もかもがおかしいんですけどね!HAHAHA

気づいたときには、次のサイクルが迫っていて時間がないので、無理矢理まとめます。

小学生にしては良く出来ているので、先生も特に何も言いません。むしろ褒めてくれます。すごいじゃないか!もう漢字が読めるのか!って感じですね。

2回目のサイクルも同じように進みます。

発表して、自分の研究が何もかもおかしいことを指摘され、成長していきます。

サイクルを数回まわし、
2年間の修士での研究生活でようやく、研究が分かってきました。

研究の義務教育修了です。たぶん中学は卒業できました。

そして義務教育を終えたいま、もう同じ間違いは繰り返さないぞと意気込みながら、修士の2年間の学生生活を終えようとしています。

ということで、修士論文を書きます。

修士論文とは

修士論文は、これまで2年間に行った研究をまとめ、成果として提出するものです。

修士論文では、これまで2年間の研究をまとめます。

つまり、「幼稚園時代からの人生の振り返りレポートを書こう」ということです。

いや、無理でしょ!

あの、漢字も読めなかった頃の、成果でも何でもない、何もかもがおかしい謎の、やっただけのものを、全部晒せということです。

無理無理無理

しかも、何か一貫性とか求められちゃいます。

これまでの研究人生でやってきた謎のあやふやな何かをまとめ、それらを一本の線で結び、意味と正当性を与えなければなりません。

目を背けてきた悍ましい過去を、黒歴史を、まとめ上げなければなりません。

「中学時代、拷問されてる女の子のイラストを描いていたようですが、何か理由があったのでしょうか?(妹の黒歴史を勝手に晒す姉)」

「はい、それは当時の不安定な世界情勢に感化され、痛ましいイラストを描くことで、啓発になるのではないかと思っておりまして……」

地獄か???

いいえ、修士論文です。

結局何がいけないのかというと、人間の成長スピードが早すぎるのがいけないのです。

成長が早すぎて現在進行形で黒歴史が生産されていきます。

嫌な過去は綺麗さっぱり忘れて、新たな良い未来に向かって邁進していくのが精神衛生上良いのですが、修士論文がそれを許してくれません。

成長しなければ、恥ずかしいと思うこともなく、修士論文を書き上げられたのに。

辛い。

まあでも同じ学科を見ると、幼稚園児のまま修士論文を書いていく人もいっぱいいます。

成長しただけ良かったのかもしれない。

いや、何も良くないんだけど。

これからわたしは企業の研究者として生きていくはずです。たぶん。

義務教育を終えたいま、これからは黒歴史をなるべく生産しないような研究人生を進めていければと思います。

以上

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